2026/03/15(日) 福山市鞆町・沼名前神社御弓神事 <4/4>

 

 ■2026年03月06日18:26
 2/15(日)午後は、沼名前神社『お弓神事』≠ノ出掛けて来ました(^.-)☆(08)


 計12本の矢射り≠ェ全て終了しますと、矢場≠ナは、皆さんお揃いで記念撮影ですネ(^.-)☆
 この間に、正面の大的≠ェ下ろされまして、お二人で細かく千切ると言うか分断しておられます。今回は、GONsanも、細かく分断されました大的≠フ一部を貰って帰らなくちゃぁ(^-^)


 >矢取は矢を持帰り小姓に渡し、再び的の下へと走る。小姓は矢を矢筒に収め、これで一回目を終了する。
 >続いて二回目は小弓主から始め、三回目は再び大弓主から行い、夫々六本、計十二本を射て終了、退出する。
 >この頃正面の大的が投げ下ろされ観衆は競って奪い合う。この的の一部をもって家内安全、疫病防除の守り札
 >とする風習がある。


 …のですけど、今では、多分、奪い合って得ますと危険でしょうから、並んで順番に受け取ります。GONsanも駆け付け順番待ちとなりましたけど、チョッとモタモタしています内に、GONsanには廻って来ませんでしたネ(^-^;
 遠慮していましたらダメのようですネ(^-^)
 まぁ、イィのですけど…貰えなくても、ご家族連れの方々に譲りました方がご加護≠ェありますかも分かりません(^.-)☆
 それでは、GONsanも退散です(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■2026年03月07日21:26
 2/15(日)午後は、沼名前神社『お弓神事』≠ノ出掛けて来ました(^.-)☆(09)


 沼名前神社社殿前の大石段を下り、随身門を潜りますと、右手に神馬舎≠ェ存在です。
 いつも、沼名前神社を訪れます度にパチリしているのですけど、今回も退散前にパチリです。
 お手火祭≠フ時には、神前手火から、ここ(神馬舎)前で火を移し大石段大手火が練り上がります(^-^)
 そして、参道を挟み神馬舎の対面斜め下方向には、森下仁丹の創始者「森下博」氏の銅像が、毎回画像に納めておりますけど、今回もまたパチリです(^.-)☆


 ◆森下 博

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 森下 博(もりした ひろし、1869年12月5日(明治2年11月3日) - 1943年(昭和18年)3月20日)は、日本の実業家、森下仁丹の創業者。広告宣伝を積極的に行って商品の名を広め、日本の広告王と称された。広島県鞆町生まれ。幼名は茂三(もぞう)。

 -- 経歴 --

 ・誕生
 1869年、備後国沼隈郡鞆町(現・広島県福山市鞆町)に沼名前神社の宮司を務める森下佐野右衛門と佐和子の長男として生まれる。博が幼い頃、父は宮司を辞めて煙草の製造販売に転業するも、「士族の商法」で接客したため売上は芳しくなかった。このため、父は学問よりも商売の智識の習得が今後は役に立つと考え、博が9歳の時に学校を辞めさせて備後府中宮内村の煙草商を営む那部嘉右衛門の元へ見習奉公に出した。博はここで12歳まで働いて様々なことを学んだ。見習奉公の年季を果たした博は奉公先近くの小学校の先生の勧めで『學問ノスヽメ』や『世界国尽』などの福澤諭吉の著書を学び大きな感銘を受けたが、父の病気により鞆町の実家へ呼び戻されたため、満足に学校に通うことは出来なかった。
 1882年(明治15年)、父が亡くなり家督を相続して15代佐野右衛門を襲名して宮司職を継いだが、世は文明開化の時代、大志を抱き1883年(明治16年)15歳の春に数日間歩き通して単身大阪へ上った。大阪では泊園書院(現・関西大学)で学びつつ、医者となっていた叔父の沢田吾一の世話を受け、叔父の知人である桑田墨荘の紹介により、心斎橋の舶来小間物問屋「三木元洋品店」で丁稚奉公を始めた。<以下、省略>


 鳥居近くには沼名前神社≠フ説明板もありますので、これもパチリ。

 ◆沼名前神社

 この神社は渡守神社の「大綿津見命」と祇園宮の「素佐之男命」が一緒にまつられています。平安時代につくられた「延喜式」という法令にも記載されている古い神社です。渡守神社は海上安全祈願の神社で、祇園宮は無病息災を祈願する神社です。
 「お弓神事」(2月の第2日曜日)と
 「お手火神事」(7月の第2日曜日の前夜)は、福山市無形民俗文化財に指定されています。


 …と、こんな説明板なんですけど、GONsanに言わせますと、
 誤:「お弓神事」(2月の第2日曜日)⇒正:「お弓神事」(2月の第2土曜日と、その翌日曜日)ですから、この説明板、修正して貰えれば嬉しいのでありますが…


 駐車場までの帰路は小鳥神社°ォ内を抜け、近道で(^-^)

 ◆小烏神社(こがらすじんじゃ)
 創建は不明ですが、室町時代後期に鍛冶を生業とする人々が氏神として祀ったのが起源ではないかと言われ、鞆では「こがらっさん」の愛称で親しまれています。12月には例祭である「ふいご祭り(鉄鋼祭)」が開かれます。また、南北朝時代の古戦場としても知られています。

 ◆小烏神社

 --- https://tomonoura.life/spot/12652/ ---

 小烏神社は、地元の人たちから「こがらっさん」の愛称で親しまれている神社。福島正則が鞆の浦の城下町を整備した際に、鍛冶工をこの地域に集めて鍛冶屋町を造りました。その中心にあるのが小烏神社です。創建の年代はよくわかっていませんが、室町時代の後期に、鍛冶を生業とする人たちが、氏神様として祀ったのが起源ではないかといわれています。
 12月には例祭である「ふいご祭り(鉄鋼祭)」も開かれます。現在の神社の境内は、1864(元治元)年に林半助らにより整地されたものだといいます。鞆鍛冶の伝統を今に伝えるお社さんです。

 -- 小烏の森つわ者どものときの声 --
 小烏神社は南北朝時代の古戦場としても知られています。
 1349(正平4)年、足利尊氏の弟・直義の義子であった直冬は、中国(長門)探題として鞆の浦の大可島城に赴任していましたが、ちょうどその頃、高師直(こうのもろなお)と直義が対立。のち、直義が高師直によって追われたことを知った直冬は、高師直・尊氏と兵馬を交えることになります(小烏の合戦)。
 その骨肉相食む合戦の結果、鞆の浦の刀剣鍛冶が発達したのです。

 -- 例祭・ふいご祭り―そのふんわりとした縁日の雰囲気 --
 小烏神社(境内社・天目一筒神社)では、12月に例祭である「ふいご祭り」が行われます。
 “ふいご”というのは、鍛冶の際に火に風を送る送風機のこと。今では、ささやかに前夜祭で縁日が開かれるばかりですが、そのほのぼのとした雰囲気が、ほっこりと心を暖めてくれるのです。


 境内の説明板には、こんな記載が…

 ◆小鳥神社 小鳥の森古戦場

 <小鳥神社>
 祭神は小鳥大神と天目一箇神といい、鞆鍛冶の氏神です。奈良時代から船具加工が始まり南北朝・室町時代には多くの刀鍛冶がいました。伝統ある鞴祭(鉄工祭)は、12月第1週の土・日曜日に行われています。

 <小鳥の森古戦場>
 1349年(正平4年)足利尊氏の弟直義の養子直冬は、中国探題として鞆の浦大可島城にいましたが、反逆を疑われ尊氏の中央軍とここ小鳥の森で戦いました。しかし、直冬軍は敗れて九州へ逃亡しました。


 …と、こんな小鳥神社・小鳥の森古戦場≠ナあります(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 ■2026年03月09日21:29
 2/15(日)午後は、沼名前神社『お弓神事』≠ノ出掛けて来ました(^.-)☆(10)


 小烏神社≠フ裏側と言うか背後には「金古稲荷神社」が存在します。ChatGPTに金古稲荷神社≠ノついて尋ねてみますと、こんな回答が(^-^)


 《GONsan》
 福山市鞆町の小烏神社°ォ内に「金古稲荷神社」が存在しますけど、どんな神社?

 《ChatGPT》
 福山市鞆町の小烏神社の境内にある「金古稲荷神社(かねこいなりじんじゃ)」は、主神社の境内に祀られている「稲荷神(いなりしん)」を祀る小さな境内社(末社)です。

 ◇金古稲荷神社とは
 小烏神社の境内奥にある稲荷社:商売繁盛・五穀豊穣などを祈る稲荷信仰の神社。
 朱色の鳥居が並ぶ小さな社で、地元の人の信仰対象となっています。稲荷神社は全国各地にありますが、一般的に「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)などの稲荷神を祀り、
 商売繁盛
 家内安全
 五穀豊穣 といった利益を願う神社です。

 ◇なぜ小烏神社の境内にあるのか
 小烏神社 は、もともと鞆の浦の鍛冶職人(刀鍛冶など)の氏神として祀られた神社です。鍛冶屋町には多くの職人や商人が住んでいたため、商売繁盛や生活守護の神として「稲荷社(=金古稲荷神社)」が境内に祀られるようになったと考えられます。

 ◇境内には他にも小さな社
 小烏神社の境内には、
 天満宮
 大黒神社
 恵比須神社 など、いくつかの小さな神社も並んでいます。
 これは昔の町の神社によくある「職人や町人の信仰をまとめて祀った形」です。
 もしご興味があればですが、「金古稲荷」という名前の由来(なぜ“金古”なのか)」も、実は鞆の浦の歴史と関係する可能性があり、なかなか面白い話があります。そちらも解説しましょうか?


 …と、こんな金古稲荷神社≠ナあります。
 赤い鳥居を横目に退散で、鳥居を潜って駐車場へと向かいます。
 今回の沼名前神社『お弓神事』≠ノは、開始時刻に間に合いませんで途中からの参詣・拝見となってしまいました。
 来年は、少し早めに出掛けます事に致します(^-^)/
 お弓神事≠フ様子は、翌日の中国新聞にこんな記事で(^-^)//"


 ◆無病息災、矢に込めて 福山で御弓神事

 --- 中国新聞デジタル 2026/02/15 18:59(最終更新:19:11) ---

 矢を放って邪気を払い、無病息災を願う広島県福山市無形民俗文化財の「御弓神事」が15日、同市鞆町の沼名前(ぬなくま)神社であった。地元住民や観光客たちが旧正月にちなんだ伝統行事に見入った。
 神事は鞆町の旧7町が輪番で担当。ことしは道越町が当番で、いずれも会社員松本勝則さん(43)と羽田和剛さん(40)が射手として舞台に上がった。「ねーろた、ねーろた」のかけ声を受け、27メートル先の的をめがけて弓を引いた。
 2人は交互に計12本放ち、的に当たると歓声が上がった。的は家内安全の御利益があるとされ、神事の後に小さく割って配られた。羽田さんは「練習通りにいかなかったが、厄払いになったと思う」と振り返った。
 矢を筒におさめる役割を担った地元の義務教育学校・鞆の浦学園1年赤沢駿人さん(7)は「緊張はしなかった。矢が速くてすごかった」と話していた。(中間卓也)

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