2026/03/15(日) 福山市鞆町・沼名前神社御弓神事 <1/4>

 

 

 ■2026年02月21日20:54
 2/15(日)午後は、沼名前神社『お弓神事』≠ノ出掛けて来ました(^.-)☆(01)


 2/15の日曜日、昼食を終えノンビリとテレビに眼を向けておりますと、「あれ、行かないの?」と嫁さん。
 暫し、「何の事?」と思っておりましたけど、そぅでした、この日の午後は沼名前神社『お弓神事』≠フ開催日でありました(^-^;
 もぅ大急ぎ、大慌てで出掛けます準備。そして、我が家を出ましたのが、P.M.1:50でありました。
 駐車場に車を駐め、駆け足で沼名前神社へ。神社到着は、2:05でしたから、当然の事ながらお弓神事≠ヘ始まっておりまして、八幡社≠ナ祭事は執り行われておりました。


 ◆沼名前神社『お弓神事』/福山市 2026

 --- https://tabi-mag.jp/nunakuma-oyumishinji/ ニッポン旅マガジン ---

 2026年2月15日(日)14:00〜、福山市の沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)で『お弓神事』が執り行なわれます。鞆の祇園さんと呼ばれる沼名前神社。福山市無形文化財に指定される『お弓神事』は、例年2月の第2日曜頃に境内社の鞆八幡神社で齋行されています。「鞆八幡の御弓神事」は初春の季語にもなっている伝統行事です。

 -- 沼名前神社創建伝承にも関係する「鞆八幡の御弓神事」--
 神功皇后が「稜威の高鞆」(いづのたかとも:弓を射る時に使った武具の一種)を納めたのが始まりと伝えられる、神社創建の由来にも関わる神事ですが、その後、年頭に1年の悪鬼を射払ってその年の平穏無事を祈る破魔弓の一種の行事に変化したもの。
 福山市の無形民俗文化財に指定。
 本来は、旧暦1月7日に行なわれる神事ですが、現在では2月の第2日曜に斎行されています。
 所役が「申す、申す、お弓を申す」と高唱しながら町内を一巡し14:00頃、神前での祭儀の後、矢場で神事が齋行されます。
 当日は、当番町内(旧鞆町内7ヶ町の持ち回り)から選ばれた「大弓主」、「小弓主」と呼ばれる射手2名が、江戸時代の武士の装束でそれぞれ6本、計12本の矢をを射掛けます。
 的の裏には甲乙ム(こうおつなし)という文字が。
 これは勝負事ではない、神事だということを記したもの。
 「ねーろた、ねろた、親弓がねろた」と弓を番えた弓主を後押しする囃子言葉が延べられ、それに合わせて矢を放ちます。
 弓主が放った矢を、「矢取り」と呼ばれる2歳〜3歳の幼児がお父さんに手を引かれ、鈴を鳴らしながら回収しますが、その仕草がユーモラスで笑いを誘います。
 社伝によれば、神功皇后が西国に向かった際、当地の霊石に大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀り海路の安全を祈願。
 帰路、綿津見命の前に「稜威の高鞆」を奉じたと伝えられています。
 鎮座地の「鞆町」や「鞆の浦」の鞆は、この高鞆に由来するとも。

 ◆お弓神事

 --- http://tomo-gionsan.com/oyumi.shtml ---

 《由緒》
 八幡神社(境内社)の祭儀。起因時代は不詳ですが、由緒にもあるように神功皇后が稜威の高鞆を奉納された事に起因して始まったといわれ、後に年頭に当り一年の悪鬼を射払ってその年の平穏無事を祈る、破魔弓の一種の行事と変化して現在に至ってます。
 《所役》
 旧鞆町内七町が慣例により毎年輪番で奉仕し、当番町から「大弓主」「小弓主」と呼ぶ射手二名、両弓主に従う「小姓」(十歳位)・「矢取」(二〜三歳位)と称する小児夫々二名を選出する。

 《概要》
 【御弓譲渡式】
 前日夕刻に前年度の所役より本年度の所役が弓を受け継ぐ式が行われる。
 【叙位詣】
 大神様から両弓主に昇殿の格式、仮の「従五位下」を授かる儀式。(現在は譲渡式に引続いて行われる)
 前日夜、所役は裃で高張提灯を先頭に、飾弓・弓主・小姓・矢取の順で、総代・氏子・祭事運営委員共々に「申す申す、お弓を申す」と高唱しながら当番町内を一巡し神社に至る。社殿での祭儀には浅蜊が御供えされ(氏子も浅蜊を食する慣わしがある)、引続き勧盃式に移る。この時一同から「よーのめ、よーのめ」の掛声がかかる。終って古式に則り、仮「従五位下」の印として所役の素襖びつを受け取り町内へ帰る。
 【御弓神事】
 当日午後二時、神前での祭儀ののち矢場での神事が行われる。
 当日時刻、所役は素襖・侍烏帽子の礼装で、前夜同様「申す、申す、お弓を申す」と高唱しながら町内を一巡し八幡神社に至る。午後二時神前での祭儀が斎行され、前夜と同様勧盃式があり、その際、福包折敷に黒豆・勝栗・昆布・榧の実(現在はスルメ)・田作(魚)≠ェ授与される。この時も同様に「よう飲め、よう飲め」と掛声が上がる。
 神前での祭儀を終え、一同飾弓を先頭に矢場の舞台所定の座につく。互礼の後、神職二名が約一メートルの弓矢(青竹製)と直径約三十センチの的を持って矢場に降立ち、東北・東南・南西・北西・天と射て、矢場を浄める。 次に矢取は父親に手を引かれて的の下、両脇に控える。「でーかけた、でーかけた(出かけた)」の掛声に両弓主進み出て、「にーらみやいこ、にーらみやいこ(睨み)」「いーそいだ、いーそいだ(急いだ)」「せーりやいこ、せーりやいこ(競り合い)」等の掛声で作法を進め、「あーさむ、あーさむ(寒)」「あーぬく、あーぬく(温)」の掛声で片肌になり、「ねーろた、ねーろた(狙う)」の掛声と共に、先ず大弓主が早矢を、次いで小弓主が早矢を、続いて大弓主が乙矢を次いで小弓主が乙矢を射る。終って袖に手を通し衣装を整え、座に戻る。
 矢取は矢を持帰り小姓に渡し、再び的の下へと走る。小姓は矢を矢筒に収め、これで一回目を終了する。続いて二回目は小弓主から始め、三回目は再び大弓主から行い、夫々六本、計十二本を射て終了、退出する。この頃正面の大的が投げ下ろされ観衆は競って奪い合う。この的の一部をもって家内安全、疫病防除の守り札とする風習がある。
 【お礼詣】
 矢場での神事を終え、所役は一同と共に町内に帰り、小憩の後、裃に着替え、再び行列を整え「申す、申す、お礼を申す」と言いながら八幡神社へ参進、無事奉仕できたことのお礼と一年のご加護を祈り、神事全てを終了する。

 《参考》
 <飾弓>・・高さ約二メートルの弓二張に神座を設け、松の小枝等で飾り、大弓主の方には神功皇后が甲冑をつけ弓をもつ神像を、小弓主の方には武内宿禰が幼児姿の応神天皇を抱く神像を安置。神事中は常に弓主と行動を共にする。
 <素襖>・・江戸時代、武士の礼装
 <矢場>・・南北十五間(27m)東西五間(9m)、舞台は矢場南側に高さ三尺(約1m)奥行三間(約5m)幅五間(9m)
 <的>・・・直径六尺(約180cm)、裏には、甲・乙・ム(なし)の組み文字が書かれ、勝ち負けなしの意

 ◆お弓神事(おゆみしんじ)

 --- 福山市 https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64136.html ---

 鞆の八幡神社(沼名前神社境内)の祭礼(本来は、旧暦1月7日)に行なわれる神事で、旧鞆7ヶ町の氏子が輪番で行なっている。年頭にあたり悪鬼を射払い、新しい年の平穏を祈る破魔弓の変化したものと考えられる。
 お弓は親弓主・子弓主(成人男子各1名)と小姓(10才の男子2名)、矢取り(2才〜3才の幼児2名)で行なう。行事に先だち拝殿で弓・矢の譲渡式・叙位式・乾杯式などの儀式が古式にのっとり行なわれた後、三間四方の桧舞台に登場、前方15間(28m)にしつらえた標的に向い、交互に3回矢を射る。これらの弓主・小姓の動作はすべて世話方の囃子ことばによってとり行なわれる。
 主催者・弓主・群集が一体となって取り行なわれるこの神事が終わると、春の足音が一歩一歩近づく。


 …と、こんな沼名前神社『お弓神事』≠ナすけど、つぃ先日、知人がこんな事を…
 「『お弓神事』は、例年2月の第2日曜に境内社の鞆八幡神社で齋行されています。と、WEB上で検索すると記載されているが、今年開催の2/15(日)は第三日曜日なのに、何故なのか?」…と、こんな質問を(^.-)☆
 うん、うん、確かにそぅですネ。実にイィ質問であります。
 お弓神事≠ヘ、2月の第2土曜日の夕刻に「御弓譲渡式・叙位詣」を行い、そして、その翌日・日曜日に「御弓神事」が執り行われます。
 ですから、『お弓神事』は、例年2月の第2日曜に境内社の鞆八幡神社で齋行≠ニ言うのは正しくありません。
 正しくは『お弓神事』は、例年2月の第2土曜日の夕刻、そして、その翌日・日曜に境内社の鞆八幡神社で齋行≠ニ言いますのが正しいですネ(^.-)☆
 もぅ何年か前に、第二日曜日の午後、沼名前神社に出掛けますと、お弓神事≠ヘ一週間後の開催でした。で、その際に「『お弓神事』は、例年2月の第2土曜日の夕刻、そして、その翌日・日曜に境内社の鞆八幡神社で齋行」が正しい事を知りました。
 過去にこんな経緯もありますから、知人にはさも知ったげに説明させて貰いました(^-^)/
 WEB上で「沼名前神社のお弓神事=vと検索しますと、確かに例年2月の第二日曜日に開催≠ニ記載されたページも散見されますネ。
 実に紛らわしいですねぇ(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■2026年02月23日15:29
 2/15(日)午後は、沼名前神社『お弓神事』≠ノ出掛けて来ました(^.-)☆(02)


 八幡神社(境内社)の祭儀が終わりますと、次に矢場での神事が行われます。
 その前に、的≠ェ所定の位置に設置されますけど、直径六尺(約180cm)の的の裏面には、甲・乙・ム(なし)の組み文字が書かれ、「勝ち負けなしの意」との事。お弓は親弓主・子弓主(成人男子各1名)によって射られますが、このお弓神事は邪気を射祓うことに意味があり、弓の腕を競い合うものではありませんようですネ。


 【御弓神事】
 当日午後二時、神前での祭儀ののち矢場での神事が行われる。
 当日時刻、所役は素襖・侍烏帽子の礼装で、前夜同様「申す、申す、お弓を申す」と高唱しながら町内を一巡し八幡神社に至る。午後二時神前での祭儀が斎行され、前夜と同様勧盃式があり、その際、福包折敷に黒豆・勝栗・昆布・榧の実(現在はスルメ)・田作(魚)≠ェ授与される。この時も同様に「よう飲め、よう飲め」と掛声が上がる。
 神前での祭儀を終え、一同飾弓を先頭に矢場の舞台所定の座につく。互礼の後、神職二名が約一メートルの弓矢(青竹製)と直径約三十センチの的を持って矢場に降立ち、東北・東南・南西・北西・天と射て、矢場を浄める。 次に矢取は父親に手を引かれて的の下、両脇に控える。「でーかけた、でーかけた(出かけた)」の掛声に両弓主進み出て、「にーらみやいこ、にーらみやいこ(睨み)」「いーそいだ、いーそいだ(急いだ)」「せーりやいこ、せーりやいこ(競り合い)」等の掛声で作法を進め、「あーさむ、あーさむ(寒)」「あーぬく、あーぬく(温)」の掛声で片肌になり、「ねーろた、ねーろた(狙う)」の掛声と共に、先ず大弓主が早矢を、次いで小弓主が早矢を、続いて大弓主が乙矢を次いで小弓主が乙矢を射る。終って袖に手を通し衣装を整え、座に戻る。
 矢取は矢を持帰り小姓に渡し、再び的の下へと走る。小姓は矢を矢筒に収め、これで一回目を終了する。続いて二回目は小弓主から始め、三回目は再び大弓主から行い、夫々六本、計十二本を射て終了、退出する。この頃正面の大的が投げ下ろされ観衆は競って奪い合う。この的の一部をもって家内安全、疫病防除の守り札とする風習がある。


 ◆邪気を射祓う弓に甲、乙なし

 --- https://visittomonoura.com/oyumi-shinji/ ---
 --- 八幡神社 宮司 奥 茂宣さん ---


 「鞆の浦を代表する神社である『沼名前神社』、その境内に『八幡神社』はあります。仲哀天皇2年(193年頃)、神功皇后が鞆の浦を訪れた際、弓を射る時に身に付ける道具である稜威の高鞆(いずのたかとも)を奉納されたことに起因して始まった『お弓神事』は年の初めに悪鬼を射祓ってその年の平穏無事を祈る行事と変化して現在に至っています。
 弓を射る親弓主と子弓主、小姓、矢取りの3役6人は前年内に当番町の中で選定され、親弓主と子弓主は約1ヵ月にわたって弓を猛練習します。
 本来、このお弓神事は邪気を射祓うことに意味があり、弓の腕を競い合うものではありません。矢が的に当たったから縁起が良い、外れたから悪いというものではありません。そのため、的の裏には“甲、乙なし”という意味の組み文字が記してあるのです。とはいえ、弓は危険な道具なので、親弓主、子弓主は弓を射る練習をしています。
 矢が外れると参拝者から残念そうな声が上がることもありますが、当たり外れに意味はないと知り、弓を射る姿を見守ってもらいたいですね。」


 …との事なんですけど、毎年、御弓神事≠ノ訪れます方々の、当たれば拍手、外れますと深い溜息です(^-^)
 『弓を射る姿を見守ってもらいたいですね』と言われましても、参拝客の皆様は当たり∞外れ≠見守っておられますから、致し方ありませんのかも(^-^)//"

 

 

 

 

 

 

 

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